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西郷南洲ギャラリー
▲西郷南洲
二副対屏風 芭蕉布書き
沖永良部で書かれた珍品
▲島津斉彬 扇面(歌)
西郷隆盛肖像(キヨソネ画)
鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵
▲これは沖永良部に流された時に
書かれた物

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メール saigounansyu_gallery@yahoo.co.jp
電話 080-5265-6932
※西郷さんに関する書幅の鑑定いたします。
お気軽にご相談ください。
※書幅は全部本物です
鑑定書:財団法人 西郷南洲顕彰会 山田 尚二先生

西郷南洲書 直筆掛け軸 「書・謳」 
▲明治7年
▲明治3年で3作
▲明治3年で3作
■西郷隆盛

西郷隆盛の最期 ・・・・ 薩南血涙史より
1877年9月24日
  午前3時55分、官軍攻撃の号砲三発響くと、各旅団一時に攻撃を開始する。 …..時に西郷、桐野、村田、池上、別府、辺見、桂たちをはじめとし、四十余名の将士、洞前に整列し、岩崎口に向って進行する。国分寿介は勢いがそこまで迫っているのを見て、慨然と剣に伏して自刃する。桐野はこれを見て言う。「何をまた急いでいるのじゃ。」と。
  桐野たちはすでに岩崎口に進み、西郷は桂、別府、辺見たちと共に進み、四方の弾丸急散のごとく、桂四郎たちまち流れ弾に当って倒れる。他にも弾丸に倒れる者相次ぐ。
  別府、辺見は西郷の前後に従い、辺見は勢いが急なるを見て西郷に言う「もやや此処にて最後といたそう(可ならん)。」と 西郷言うに「まだ、まだ。本道に出て従容として死ぬるのみ。」また行くこと丁余四面より集注せる弾雨ますます加わる。 辺見また西郷に迫 って言うに西郷答える「まだ、まだ。」
  ついに進みて島津応吉邸の門前に至る。山上の流弾が西郷の肩より股を貫く。  西郷は別府を顧みて言う「晋どん、晋どん、最早この辺でよかろう。」と、西郷徐ろに跪坐(ひざまづいてすわり)し、厳然と襟を正して遥か東方の空を拝する。この時別府は、いまだ負傷中であるため従卒をして輿を担わしめ従いつつあったが、この言葉を聞いて言う。「然る乎(そうですか)」と、ただちに輿を降りて西郷に向って言う。「我が罪を恕せよ。(許したもんせ)」と、起ち上がってその首を斬り、西郷の従僕吉左衛門に、密かにその首を折田邸と大迫邸の間の竹薮の中に埋めしめ、進みて岩崎口の堡塁に達し、叫んで言う「先生は既に死にました!」
勝 海舟書 掛け軸  
■勝 海舟
勝海舟 〈1823〜1899 東京都(江戸)出身〉
旗本小普請組の勝小吉の長男として江戸本所亀沢町に生まれる。
勝海舟は、幕末・明治期にかけて、幕府軍として第二次長州征伐時の長州藩との和睦の成立や戊辰戦争時の西郷隆盛との会談の末の江戸城無血開城の実現など、多くの功績を残した人物。
安政2年(1855)蕃書翻訳係に採用され、のち長崎に設立の海軍伝習所に派遣され、オランダ人から西洋技術、航海術、砲術など多くの近代的な知識を習得。そして、万延元年(1860)ジョン万次郎や福沢諭吉などを乗せた咸臨丸かんりんまるの艦長として太平洋横断航海に成功したのち、神戸に海軍操練所を開いて、坂本龍馬や陸奥宗光など新時代を担う人物を育てた。
辺見 十郎太書 掛け軸  
■辺見 十郎太
辺見 十郎太(へんみ じゅうろうた、嘉永2年11月7日(1849年12月21日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、幕末の薩摩藩士、陸軍軍人。名は昌邦。戊辰戦争のとき、薩摩藩二番小隊長として東北戦争でも活躍。維新後は鹿児島常備隊小隊長、近衛陸軍大尉となるが、明治六年政変で西郷隆盛が辞職して鹿児島へ下野すると、自分も辞職して西郷に従った。私学校でも力を尽くし、宮之城郷の区長も務めた。
1877年の西南戦争の時には、薩摩三番大隊一番小隊長として熊本城攻撃のときに活躍し、その後雷撃隊大隊長となる。 勇敢な薩軍の中でも特に抜群の武勇を誇り、仲間からの信頼も厚く、弾雨の中を先頭きって突撃する辺見を見てみな勇気づけられたという。 城山での最後の戦いでは、西郷の死後別府晋介と刺し違えて死んだとも、政府軍に突撃し戦死したとも伝えられる。享年29。
月照上人書 掛け軸  
■月照
月照(げっしょう、文化10年(1813年)- 安政5年11月16日(1858年12月20日))は、幕末期の尊皇攘夷派の僧侶。名は宗久、忍介、忍鎧、久丸。文化10年(1813年)、大坂の町医者の長男として生まれた。文政10年(1827年)、叔父の蔵海の伝手を頼って清水寺成就院に入る。そして天保6年(1835年)、成就院の住職になった。しかし尊皇攘夷に傾倒して京都の公家と関係を持ち、徳川家定の将軍継嗣問題では一橋派に与したため、大老の井伊直弼から危険人物と見なされた。西郷隆盛と親交があり、西郷が尊敬する島津斉彬が急死したとき、殉死しようとする西郷に殉死を止めるように諭している。
安政5年(1858年)8月から始まった安政の大獄で追われる身となり、西郷と共に京都を脱出する。そして薩摩藩に逃れたが、藩では厄介者である月照の保護を拒否し、日向国送りを命じる。これは、薩摩国と日向国の国境で月照を斬り捨てるというものであった。このため、月照も死を覚悟し、西郷と共に錦江湾に入水自殺した。月照はこれで亡くなったが、西郷は奇跡的に一命を取り留めている。享年46であった。「眉目清秀、威容端厳にして、風采自ずから人の敬信を惹く」と伝えられている。墓は、京都市の清水寺と鹿児島市の南州寺にある。
僧月性とは別人。
川口雪蓬書 掛け軸  

西郷隆盛 掛け軸 「西郷隆盛人物画」 
西郷隆盛画像
西郷隆盛収集展 展示会会場 
毎年1回、遺墨展を開催しております


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